pianque's blog "blackstar"

北関東の某市で暮らすpianqueが日々感じたことをつづります。表題とかけ離れた記事が増えてきたのでタイトルを変えました。

北条かやさんと「二十歳の原点」

北条かやさんの本は、ちょっと前に私の連れ合いが「キャバ嬢の社会学」という本を持ってきたので、それを読んだことがあります。
内容はすっかり忘れてしまったのでさほど印象が強くない本だったかもしれません。


その後、ネットでのいくつかの炎上事件があり、ネットでものすごく叩かれていたので、その詳細をちょっとだけ読んでみたのですが、あまり細かく読まずにあえて言うと、何でここまで叩かれるのかわからない(「こじらせ女子」の件とか、確かに北条さんがうっかりやってしまったみたいだけど、それほど重大な問題だろうか?)という感じでした。
一部の人にとっては非常に重要な問題だと思うので、その価値観について特に口をはさむつもりはありません。

「救急外来にかかったらビタミン剤と咳止めだけ処方されて7000円取られた」というのも、「医者にかかったら風邪が早く治るという迷信を信じてしまっている人」は世の中にたくさんいるわけで(実際に医師の診察が有用なのは風邪と他疾患の鑑別においてぐらいしかない)、そういう人たちに「ああ、救急にかかるとこんなにお金取られるのに、せいぜいビタミン剤ぐらいしかくれないんだな」と知ってもらうことは、不急の救急受診を減らす上でむしろいいのではないかと思いました。
しかし、ツイッター上のお医者さん達の反発は結構買ってしまったようです。
 

togetter.com

 

まあこれを見ると北条さんも結構強く、ヒステリックな言葉で言い返しているよねえ。




そして本人のブログも読んでみたわけですが。
 

ameblo.jp



本人は自虐のつもりでも、他人を傷つけている言葉って結構あるわけです。
ご本人は、「こんなBBA」「もうオバハン」と書いているのですが、だとしたら彼女よりずっと年上の私は何?とか、
「ブス」と言っても実は自分はかわいいと思っているんだよね…というセルフィ―とか、「自分はブス」の比較対象がモデルさん達だとかで、特に女性たちの気分を大いに害するものがあると思います。
(pianqueはこう書いていますが、あ、そ?っていう感じではあります。
私の連れ合いによれば、女性はみんな自分のことが一番かわいいと思っているそうで、目いっぱいおしゃれをした時の自意識過剰さというのは、私も含め多くの女性が経験していると思うからです。
とはいえ、メイクと整形で女子力を重武装しているような人にもし「pianqueさんはそのままでいいのよ」とか言われたら…pianqueもそこまで人間ができていませんから、もしかして殴っちゃうかもしれません。
これを受験に例えれば、ガリ勉して有名大学に受かった人に、あまり努力せず偏差値が高くない大学に入った私が「一度しかない青春を勉強だけで過ごすのは勿体ないよね」と言われるようなもんですから)

ただ、彼女はやっぱり、まだ若く、そして幸せではないのかもしれないなあと。
若い頃は多分、みんな一時的に不幸な時があって、それはやり過ごさないといけない時なのではないかと今になって思ったりします。
北条さんが、まったく何もしなくてもよさそうな腕と足をマニアックに脂肪吸引やったりしているのを見て、「今の自分が嫌い」「自分を変えたい」「愛されたい」という、色んなメッセージを察知してしまうわけです。
そういうメッセージを本人がある程度意図的にやっている節もブログの文章をよむ限りでは、ちょっとはある気がしています。
テレビに映る姿は彼女のキャラクターのせいなのか、整形とメイクでまるでお人形さんみたいになってしまっているからか、私にはすごく不自然に見えます。
本人も「内面の美は外見の修正では補えない」ことはよく知っているみたいなのです。
しかし、その言葉に反して、服やメイク、おしゃれのためのグッズ、整形…彼女のブログはそういう外見を飾るものにあふれています。
ご本人は仕事のためにやっていると書いているけど、私が仕事のためと称してヨガをやっているのと同じく、それは言い訳かなあと。

すごくありきたりな言い方なんですが、その外見に対するこだわりが傍からは「この人は本当は自分が嫌いなのではないか」と見えてしまう。
斎藤薫氏が昔、4時間かけてメイクする浜崎あゆみについて同じことを書いていました。

美を追求する旅には終わりがありません。
そしてほとんどの女性は、どんなに整形をしてもメイクをしても、ファン・ビンビンみたいな(←私の好み入ってますが)絶世の美女にはなれないということをよくわかっています。
そして追求したからどんどん美しくなるかというと、むしろピークの後は徐々に落ちていくことになります。
かくいう私も、5年ぐらい前までは「女性としてまだ見られるかも」と、内心ひそかにちょっとだけ思っていたのですが、最近はさすがに賞味期限切れの納豆のごとく(かつ、実際に食べられるかどうかもギリギリの地点)、私を見慣れている連れ合い以外の男性にもはや何の需要もないということを、ひしひしと噛みしめております。

(その後の浜崎あゆみの容姿が色々取沙汰されるところをみると、ちょっとかわいそうになってきます。)


このブログで書いたことがあるんですが、北条さんと同じく、私もごく地味な10代を送っていました。
服やおしゃれにお金を費やしたり、男に媚びるために自分の外見を磨き上げることにしか興味がない、そういう女になりたくないと思っていました。
しかし、おしゃれをするというのは、女性の大きな楽しみでもあります。
その楽しみに気づいてから、反動で20代の終わりぐらいに服をたくさん買ったり、ブランドもののバッグを買ったこともありました。
当時大阪に住んでいた私には阪急百貨店のショーウィンドウに飾られていたフェンディのバッグがとても眩しく見えました。
しかし買ってみてしばらくするとその輝きがなくなることが分かって、以後買うのはやめましたが。
後から考えてみると「服やおしゃれにお金を費やす女」という思い込みも私の中二病黒歴史というか、随分と雑なステレオタイプです。
私は自分が女子のメジャーなコミュニティに入れなかったことを「そういう女になりたくないから」にすり替えてしまっていました。
実際にはもっと深刻なディスコミュニケーションとか、タガメ女全盛期の社会の規範に私が馴染めなかったとか、家庭環境とか、そういう色々な問題が関係していました。
 

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おしゃれのもう一つの意味は、女子の仲間うちのマウンティングの武器の一つです。
最近では男に媚びるためというより、むしろこちらの意味合いが大きいかもしれません。
北条さんはそうした、学校や職場、ママ会などどこにでもありそうな、仮想女子グループの中の小さなカースト競争に乗ってしまったように見えます。
今の彼女ならそんな競争に乗らなくてもいいはずなのに。

マウンティングというのはどういうことかわからない方はちょっと前のドラマ、「ファーストクラス」や、最近ネットに出ている東京カレンダーなどの記事からお分かりいただけるかと思います。

はたから見ているとつまらない、そこから抜け出したいと思ってる女性も多いはずの小さな世界。
北条さんがなぜそんな狭い世界に自ら入っていくのか。文学的に想像してしまうなら、北条さんは昔どこかで、カースト競争の中で負けてしまったのかもしれません。
そしてそのカースト外にあることの疎外感を見に染みて感じているのかもしれないと。
そして、誰もが自分をより賢く、正しく見せようとするSNS界隈で「負けてしまった」ことで、リアル世界に生きている自分を女の競争のためにさらに武装する…というのはちょっと言い過ぎでしょうか。

誰からも好かれたいというのは、中二病というか、多分小二病ぐらいの話ではないかと思います。
年をとるにつれて、プライベートでも仕事でも、誰にでも好かれるわけではないのだということも、それでいいのだということもわかってきます。
そしてそれこそが自分自身なのだということも。
もし他人から愛されたいのであれば 何よりも自分自身を愛する必要があります。
そしてそのためには自分自身の醜い面もきちんと自分に見せる必要があるのです。
そのためには、誰かを真剣に愛する必要があるかもしれません。
その誰かは恋人でもいいし、家族でも子供でもいいかもしれません。
その人の前で醜く欲望の深い自分をさらけ出し、その自分を含めて、愛することができればいいのです。
いつまでも綺麗なままではいられません。
真の自分と向き合えない限り、自分のイメージの中の「理想の自分」という虚像を追い求めつづけることになります。
 
「そんなこと、言われなくてもわかってますよ」
分かってる?本当に?私にはそうはみえないんだけど。
 

世間は女性に若さと美しさを求めながらも、一定の年齢を過ぎてからは、大人としての自立も期待します。
30を過ぎた女性がなんかフワフワしていて、責任を負わなくていい生き方をしていることをよく思わない人は意外にたくさんいるかもしれません。
その人たちにとっては他人の人生なので別に干渉される理由もないのですが、そういう女性がメディアに出て発言するということは、そういう世間のアンチ票を拾うことでもあります。
 
そう、フワフワと生きている人は、日陰で生きているほうがずっと楽なんです。
 
なので、北条さんに本をもし送るとしたら、岸見一郎さんの「嫌われる勇気」あたりでしょうか。
ベストセラーなのでお読みになっているかもしれないのですが、本を読むということと、その中身を掘り下げていくことは、次元の違う話だと思うからです。
 
こうして色々書きましたが、北条さんのブログは結構読ませていただきました。
ひと世代若い人達のファッション(すべてのアラサーを代表するわけでもないでしょうが…)がわかって、その点はなかなか楽しかったです。
 
ブログを読んでいて、ああこれは、昔「二十歳の原点」を読んだときの感覚と似ている、と思いました。
二十歳の原点」の著者は学生運動に参加していたものの、時代の流れに流されてしまい自己が崩壊して自ら命を絶ったのでした。
この著者が書いた詩は、未熟で粗削り、そういう詩なのですが、読む者に自分の若い頃を思い出させるストレートなメッセージがあります。
でも、北条さんの著書まではちょっと買わないかな…とは思いました。
 
ちょっと前にツイッターで北条さんを「アスペルガー」と書いた人がいて(アスペルガーアスペルガーと書いて何が悪いとかいうまとめの見出しを見ましたが、明らかに悪いと思います)、それは非常にまずいと思ったのでツイートを出しましたが、書いた人のTLを見てみると、何故か北条さんがらみのツイートが結構多い。
どういう感情を持つにせよ、気になってしまうということではないでしょうか。
もしかすると、ある種人を引き付ける力のある人かもしれないと思ったことと、
もしかすると、それは若い頃の椎名林檎Coccoの不幸さに惹かれてしまっていた普通の人たちの、残酷な好奇心と似ているかもしれないと思いました。