pianque's blog "blackstar"

北関東の某市で暮らすpianqueが日々感じたことをつづります。表題とかけ離れた記事が増えてきたのでタイトルを変えました。

医療費の抑制と「不安」にまつわるさまざま

医療費の問題を考えるときに、「医療は贅沢である」という基本を思い出すことと、とりわけ女性に強い不安や恐怖に対処することで、不要の投薬や検査、処置などを減らすということを考えたりします。
女性本来の気質的なものなのか、社会的に与えられている役割のせいか、自分の体の変化や身の回りの人の変化に不安になりやすい人が多いようです。
そして、そういう不安の強い女性が育てた子供は、小さい頃からちょっとした症状で病院に行くことになり、男女問わず不安の強い子になる傾向があるかもしれません。
いつまでも若く美しくありたいのが女性ですが、そういう美容に対する関心も、実は自己の変化に対する恐れから来ているように見えることもあります。
そして、加齢による色々な体の変化も、病気のせいであり、したがって薬などで治るものだと思ってしまうかもしれません。
実際にそうやって医者を渡り歩く高齢者を(これは男女問わずですが)時々見ます。
また、例えば90歳をずいぶん超えたおばあちゃんが食欲がなくなったということで心配して受診される家族の方がいらっしゃいますが、その年齢で食欲旺盛というほうがむしろ不思議です。
高齢の方はあちこちが痛くなり、色々な不調が出るので、何とかしてやりたいという気持ちはわかるのですが、病院に行く以外の方法でそれを解決する方法を考える時期に来ているのではないかと思います。
 
変化することの何が怖いかというと、突き詰めると死により近づいていくから、なのですが、おそらくその恐怖は高齢になるほど強くなります。
 
知識で克服できるものではないかもしれません。
 
不安や恐怖は自然な感情ですが、そうした感情をいくら抱いても状況は変わりません。
医師に何でもないと言われて安心できればそれでいいのですが、時折何でもないと言われたことに逆に不安感を抱いてしまうことがあり、そうなるとその不安や恐怖は、自分を苦しめるもの以外の何物にもならなくなります。
 
不安や恐怖は生命の維持に必要な感覚であり、これをなくすことはできないのですが、体の調子が悪いと不安感が強くなり、はっきりしない医師の答えなどでさらに不安が強くなったりしているかもしれません。

中にはあらぬ心配をしてしまい、自分の中のありえない説(脳の血管が切れた、血管がつまった系の説が多いです)に従って、医師に検査をするように要求する人がいます。
 
ごくたまにそれが正しいことがありますが、あくまでレアケースです。
 
「デイサービスの看護師さんに検査をしてもらうように言われた」「家族に検査をしてもらってくるように言われた」と来院する人も多いですが、検査をする必要はないことのほうが多いです。

とくに看護師さんの話は、なぜそう言ったのか理解できないことも多く、気軽に検査など言わず受診をおすすめすればそれでよいと思うのですが、検査大好きの看護師さんもいるのでしょう。

異常がないことを説明しても検査の結果が正常であることまで見ないと納得できない。
 
目に見えるもの、数値化できるものしか信じないというのは、実は本能が鈍るという点でむしろより悪い方向に行っているのではないかと思いますが、多くの医師も目に見えるものしか信じていないため、これは医師の態度を反映しているともいえます。
 
患者さんを納得させるために検査をするという状況は極めてよくあり、正直な話自分もやっぱりしていますが、医者自身これが無駄だということをよく自覚しているはずです。(できるだけそうしないようにはしていますが全てやらないのはほぼ不可能です)医師のサイトなんかを見てみるとそういう本音がたくさん書いてありますが、あまり表に出ません。
 
私の知人でかなり知的レベルの高い人も、「めまいで病院に行ったら頭のMRIも撮ってくれなかった」とぼやいていましたが、医師が必要がないと判断したから検査しなかったことを「冷たい」と色付けしてしまうようです、
 
検査をした方が病院の利益にもなり、説明の手間も省け、より確実な情報を提供するという意味で誠実だと考える医師もたくさんいるでしょう。
前にも書きましたが、大学病院など研究機関の場合、研究のための検査を保険でやっていることもよくあります。
検査のやりすぎという点ではインフルエンザの迅速検査などが典型例ですが、日本人のインフルエンザに対する恐怖心はちょっと異常なレベルです。この点はアメリカを見習ったほうがいいかもしれません。
 
確かに、検査をより行う方がより確かで誠実ではありますが、問題はそれが将来的に現在の保険診療システムを維持するのが難しくなるぐらい医療費を食わないかということです。
 
開業医が医療機器を買ってしまうとどうしてもその設備を使うため検査が多くなりやすいので、どうせ買うなら超音波など汎用性の高い機械がよいのかもしれません。

院内にMRIを備え、ただの頭痛や「物忘れが心配なので頭を検査してほしい」人全員にMRIをやっている開業医の先生が実在したりします。
 
開業医はよろづ相談屋として、病気でも病気でないものでも人生相談も(あまりお役に立てないかもしれませんが)なんでも相談にのり、画像検査や専門的な治療などは地域の病院にお願いしてしまう方がよいのではないかと考えています。
 
開業医は経営の問題があり、どうしても点数稼ぎになる傾向がありますが、勤務医は逆に経済感覚がなさ過ぎて色々無駄遣いをやっています。
 
医師の良識のみでこれを制限していくのは難しく、やはり何らかの制度改革は必要なのかもしれません。
 
先日ある眼科の先生も書かれていましたが、たかだか100年の歴史の現代医学では、 病気とはみなされない、病名がつけられないということは非常にしばしばおこります。 漢方はもう少し歴史が長いので色々な症状に対し弁証することができますが、現代医学の文脈と合わないところが悩みの種です。

前述しましたが、病名がつかないと納得できないという人はたくさんいます。

そのため、例えば不定愁訴に「自律神経失調症」とか「プチ更年期」などの適当な病名をつけて患者さんを納得させようとする医師もいますが、誠意ある対応ではないと私は考えています。

医師の態度というのは大事です。患者さんを脅かさない、患者さんと適度な距離を保つ、分からないことはわからないと正直に言うなどです。
家父長的態度の医師のあり方は変わらないといけません。ドクターハラスメントという言葉が最近出てきましたが、医師が反省すべき点は多いと思います。

先日もある開業医に「コレステロールの薬を飲まないと死ぬ」と言われた患者さんがいらっしゃいましたが、この言葉にも相当脅しが入っています。
 
ある病院の先生も、「更年期以降はあなたはお母さんと同じ病気になりますよ」と、かなりの暴論を受診者全員に説明するというようなことをしています。

 現代医学は高血圧や高脂血症の弊害をあまりに強調しすぎてきました。
 生活習慣病という言葉がありますが、 一般的にイメージされる「病気」と生活習慣病は違うということをもう少し伝えていく必要があると思います。
血圧が急に高くなると死ぬと思っている人は未だにある程度いるようですが、それはかなり特殊な状況に限られます。

現在行われている特定健診にも問題があるのは、異常値の設定がかなり低く、検査をすると大抵の人が異常になってしまうということです。

この数値の異常を病気と捉えてしまい、不安になる人が非常に多いです。
 
医療は「患者さんに不安を植え付ける」ということを、今後できるだけ減らしていくべきでしょう。
 
特に高齢者にはできるだけ希望を与えるようにしなければいけません。
 
高齢者はしばしば、難聴などでコミュニケーションが難しく、そのことが不安を増大させていることがあるため、より便利なコミュニケーションツールの開発はこれからの時代必須です。(すでに開発されているものもあったと思います)
 
 
より根本的で実存的ともいえる、生きる上での不安や恐怖の救済という意味で、私はやはり宗教的な存在が必要と考えていますが、宗教がタブーになっている日本ではこれは難しいかもしれません。
 
 
高齢の患者さんの中には、「もうお迎えが来るのを待ってるんだけど」と言いながら病院に来ている人がいますが、名目上は高血圧の薬をもらいに来るということであっても、メディカルチェック的に受診をするのは悪いことではありません。
 
しかし、突然に起こる脳卒中や大動脈乖離、心筋梗塞などを通常の受診が予見できるかといえばそれは難しく、より慢性に進行する病気のチェックに限定されると思います。
 
 
 経済的な問題もさることながら、診療体制の維持も保険診療の維持のためには非常に大事です。
 
特に地域の躯幹病院の診療体制を維持するために、色々な課題がありますが、ある程度の受診制限や不急の時間外受診、救急車出動を減らすことも一つの大きな課題です。

夜間の救急外来にかかってくる電話でしばしばあるのは、「2,3日前から調子が悪かったけど痛みがひどくなってきて心配になった」です。

「心配になった時点」が受診時間であり、本来の緊急性と関係ありません。
ここでも「不安」の問題が出てきます。
自分の抱いている不安が「正しい不安」なのか、単なる杞憂なのか。
それを判断するのは相当難しいのですが(病気によっては夜中であろうと、一刻も早く来てもらった方が医療スタッフもかえって助かる事態もあるため)、あまり考えずにすぐに受診するのと、ちょっと立ち止まって考えてから受診するかどうか決めるのでは、自分の中にある本能的な感覚を使うという点でやはり違うと考えます。

以前ある医局秘書の方が「風邪で夜中の3時に救急外来を受診したら怒られた」と言い、同僚に「当たり前じゃボケ」と言われておりましたが、医局秘書のように医師の仕事をある程度把握している人でも、夜間救急が病院の人的リソースを消耗するということに案外無頓着だったりします。
「仕事があるので昼間これずに時間外に来た」という人もいますが、時間外診療でできることはかなり限られるため、また来るはめになります。
調子が悪ければ時間内に職場を休んで受診する勇気や、それを支えてくれる会社の体制も必要かもしれません。
 
もう一つ、ここで書いておきたいことは、「医師間の遠慮をどうやってなくすかという問題」です。
投薬を減らしたいという時に、他科との調整がどうしても必要になります。
ある特定の科にかかると、たくさん薬を処方され、他の科にかかるとさらに薬が増え…という問題ですが、色々な問題解決法が検討されているものの、結局は医師の自覚による部分が大きいのではないかと考えています。
多剤投与は臓器別に細分化された医療やEBM医学が本質的に持ちうるマイナスの側面と言えます。
医師個人の意識の問題としては、ひとまず漫然と薬を投与しないこと、他科の処方を必ずチェックすることなどがあります。
将来的には、ある患者さんがどの薬を飲むともっとも健康に過ごせるか、という所までAI(人工知能)にやってほしい所ですが、現状では医師同士でもう少し率直に意見を交わし合うということに期待します。これはすごく難しいことなのですが、なぜ難しいのかをよく考える必要があります。
お医者さんはなかなか頭が固い人が多いため、患者さん側はそのことを理解しておくとよいかもしれません。
そして、ずっと飲み続けないといけない薬は、「結果的に何も治していない」ということだということを双方が自覚することで、話は大分すっきりします。
そのアルツハイマーの薬に本当に飲む理由はあるでしょうか?
一つ一つ、面倒でも考えていく必要があります。