pianque's blog "blackstar"

北関東の某市で暮らすpianqueが日々感じたことをつづります。表題とかけ離れた記事が増えてきたのでタイトルを変えました。

「天国ニョーボ」と、医療場面における民主主義、魂の問題など

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天国ニョーボは、単行本は買っていないのですが、漫画の部分を持ってきてもらって時々読んでいました。
この漫画は、作者の妻(よしえさん)が乳癌にかかり転移性脳腫瘍を発症、最後に死去されるまでの経過を書いたもので、病気の進行していく経過から家族との関わりなどが生々しくつづられており、読んでいて辛い部分がかなりあります。
それでも、作者が奥さんのよしえさんを本当に愛していたことは、漫画からしみじみと伝わってきます。
 
作者が生きつづけつことを願ったよしえさんはついに天国から漫画の中に降臨し、以前と変わらない天然キャラで楽しい騒動を起こしていくのですが、同時に、検診を担当した医師の不誠実さやテレビに出た有名な医師が実は全くいい医師ではなかった、息子がうつ病と誤診されてひどい目に合いそうになったなど、医師に対する痛烈な批判がこの漫画のもう一つのテーマとなっています。
 
確かにこれはひどい…と思える事例満載なのですが、精神科の誤診についてはまあ…正直よくあることでもあり、私の知っているテレビに出ている先生も実はアレな人だとか、妙に威張る医師がいまだに多いとか、ある程度知っている側からするとよく聞く話だったりします。
患者さん側はこうした話をあまり知らないと思うので、作者の誇張ではないかと思うかもしれませんが、多分本当の話です。
やっぱり病院を知名度やブランドで選んでしまうとうまくいかないことも多いだろうと、こちらはそう思えても、当時の作者がそうせざるを得なかったというのも読んでいるとわかります。
 
ネットの近藤誠氏(がんの化学療法などに否定的見解を持ち、放置療法を主張している放射線科医)に対するバッシングを良く知っている人なら、作者が「近藤誠理論」に傾倒していたことについて「作者は近藤氏に騙された」と思うかもしれません。
作品を読んでいても、作者の治療に対する希望が、近藤理論から最先端の治療からゴッドハンド…と揺れ動いてしまい、一貫性がなく、結果的に担当医との関係が悪化してしまっているように見えるところもあります。
作者は、当初はよしえさんの希望を十分に聞き、標準的な治療法に従っていました。
自分の中にある「本当は近藤理論の方がいいのではないのか?」「たくさんある選択肢の中で色々選べるというのががん治療の専門施設だと思っていたのに、現実は標準治療を押し付けられるだけ」という思いは胸の内に抑えていたわけですが、そのことも現在の後悔の原因になっているようです。
(少し後になって近藤医師の外来を受診しようとしたときに、予約があまりにもとれずに憤慨する場面もあります。)

「たくさんある選択肢の中で色々患者が選べるのが専門施設」というのは普通に考えてもありません。
そもそも保険診療なので、標準治療をやることが前提ですし、特に拠点病院であれば標準治療を実践することが求められるはずです。

(この「標準治療」というのが患者さん側から見たときに金科玉条のごとく振り回されていないか、というのは、医師側が十分に注意しなければいけない点だとは思います)

どの治療法が適しているのかを判断するのは、患者さんとの相談の余地は十分あるとはいえ、最終的にはやはり医師です。
医者自身が治療法を選択し、そのことに対する責任を引き受ける」ことができなければ、それは医師の仕事になりません。
(医師が責任を本当に引き受けているかについてはかなり議論の余地があるかもしれません。すべてを一切医師に押し付けるというのも極論ではあります)
テレビでは最新の治療や「名医」のストーリーや、ユニークで効果がありそうな治療法についての番組が頻繁に消費されており、それらはいかにも素晴らしく見えるのですが、ショービジネスなので、語られていないことが存在しているということに想像力を働かせる必要はあるかと思います。

作者は久下部羊の小説「悪医」に出てくる主人公・小仲のような「がん治療難民」になってしまっていたかもしれません。
しかし、作者がなぜ浮足立って揺れ動いたかというと、一番大きな理由は主治医との信頼関係がうまく築けなかったからであり、その経緯ががん治療における問題点の縮図のようになっているからです。

この漫画の中で、ゴッドハンドの医師に妻の脳外科手術をしてほしいと言った作者に対し、「今の脳外科手術はテクノロジーですからゴッドハンドなどはあまり関係ありません」と言い放った医者が、手術後「電極が外れていたため病巣を取りきることができませんでした」と言う非常にアナクロなミスを説明するというシーンがありますが、あまりに皮肉すぎてさすがに笑えません。

もし自分の大切な人ががんになってしまったとしたら、できるだけいい医者にかかりたい、ゴッドハンドの医者にかかりたいというのは誰でも思うはずです。
しかし医師にとっては、ゴッドハンドも万能ではないということが自明であり、かつ患者さんが集中する人気の外来が治療技術的に必ずしも最良ではないことを見ています。
それらの人気の外来では、治療自体というより、先生の人柄に患者さんが集まっていることもよくあります。
治療技術や学問的に最も妥当な治療を行う事に最も重きを置いている先生であれば、患者さんは医師を見る目がないと思うかもしれません。

正直に書くと、もしも自分の患者さんが、作者のような旦那さんと一緒に来られたら、大変だろうな~とは思います。
それは、病状の説明が知識の豊富な御主人への説明メインになってしまい、肝心の奥さんに対する説明、奥さんの気持ちがどうなのか、ということにこちらの注意がいかなくなる可能性があるからです。
私個人の経験でも、奥さんが病気で説明のために夫婦で来院された場合、ご主人が主に質問し(もともと医師に不信感を持っている人も多く結構攻撃的なこともあります)、奥さんは頷いているだけという状況が往々にしてあります。

奥さんのみにきちんと説明をしたとしても、後日それを聞いたご主人に再度説明…とループしてしまったりします。

診療場面における「民主主義」についてしばしば考えるのですが、治療方針の決定について、参加する人が多ければよいというものではないということは実際にやってみるとわかると思います。
夫婦2人であっても、考え方がそれぞれ違うためどちらかに妥協せざるを得ないという場面もあるでしょう。
ご主人がオピニオンリーダーだとしても奥さんが納得されていればそれでいいのだという考えもあるでしょうが、すべての人がそれぞれ自分の価値観を持っているわけですから、私は可能であれば、患者さんご本人の権利を注意深く守る方がよいと考えています。

これとは逆の夫婦の例を挙げると、ある家庭のご主人が癌になり、近藤誠の本を読んでいたため積極的に治療せずに亡くなったということがありました。
この件の詳細はよく知らないのですが、ご主人はそれで満足だったかもしれなくても、奥さんや子供さんの意見はもしかすると聞き入れられなかったかもしれません。
残された奥さんや子供さんは悲しむと同時に、釈然としないものを感じていたかもしれず、これも一つの選択といえばそうなのですが、あまり民主的とは言えないと思います。

天国ニョーボのエピソードはこうした「医療場面における家族間の民主主義」についても考えさせられるものです。
 
さらに言えば、知識を共有し「民主主義」を促進するかに見えるテレビ番組や雑誌の記事などが実は患者さんの味方ではなく、医師側の使い走りであったり、特定のイデオロギーを持つ人物の言説だったり、全く根拠のないデマだったりと、さらなる混乱に誘導していたりします。(もちろん本当のことも言ってはいますが、聴衆にとって退屈な話が多かったりします)
その結果として、一般内科の診察室では血圧やコレステロール値を過度に気にする人や、「何を食べたらいいのか」というテレビ番組的な質問を医師に聞く人が多数いて、話がそれに終始してしまうということがしばしばあると思います。

(逆に、コレステロール薬については、稀な副作用である横紋筋融解症が過度にクローズアップされたり、製薬会社が売り上げを上げるためにコレステロール薬の研究データを改竄しているなどの噂が絶えません。
研究結果の改竄(まではいかなくても若干の脚色)の検証は医療が専門ではない人には難しいため、そうしたことの真偽や薬のリスクとベネフィットをそこまで考えず、ただ絶対に薬を飲みたくないという人が一定数いたりもします。)

「医療における民主主義」をもう少し広げて、医師と患者、病院のスタッフ間、医師と代替・補完療法家間などの民主主義などを考えると、日本の状況が理想的なものとは程遠いことは容易に理解できます。
民主主義という言葉をすでに聞き飽きている向きの方もいらっしゃると思いますが、政治はともかく、医療や科学において、民主主義的なあり方はいまだに理想的といえるものです。

医師側の問題については、書くと文章が長くなりすぎてしまい本題から大幅にそれそうなので、ここでは省略します。
(本当は省略したらいけないんでしょうが…一冊本が書けるボリュームかもしれませんのでお許しください)
患者さんについて言えば、知識をたくさん持つのが必ずしもよいということでもなく(何かあった時により正しい情報が引き出せる情報リテラシーなどはあるといいかもしれません)、体調の変化を自分で冷静に観察し、不安にかられずに、客観的に見て医師に行くかどうかをある程度判断できる、睡眠や運動、自分が食べるべきものなどは自分の体に聞いて判断するなど、自分の中の数値化されない、より本能的な部分を軽視しないことが大事と思いますが、肝心の医師側が目に見えるものしか見ないということもよくあり…問題の根は深いところに存在します。

より根本的な問題としては、患者さんが医療機関を受診しようという時に、全国の医療機関の情報が十分に公開されていないということがあります。
私自身も、少し遠くの医療機関に患者さんを紹介する場合、どこがよいか調べることになります。
自分の専門分野ならどの施設にどの先生がいるということを把握するのは比較的簡単ですが、専門外になると分かりません。
ましてや患者さん自身が調べるとなると「とりあえず大きな病院」ぐらいにしかならないのではないでしょうか。
そこで必ずしも満足のいく治療が受けられず、口コミやネットで検索などして調べるしかないというのが現状で、どう考えても情報が足りない上にその情報がしばしば偏っています。

ネットで医療機関を検索して「有名な病院にかかりたい」という人は多く、その多くはそこまで行く必要がないというものだったりしますが、ブランド以外にいい病院が判断できないことがブランド志向の理由です。
しかしその有名な病院に行っても、入院した場合などは、看板の先生ではなく若い先生であることはしばしばです。
名医のいる病院ガイド本なども実際は広告的なものが多く、あてにならないことはすでに知られているようで、最近その手の本の話をそういえばあまり聞きません。
(まだあるんでしょうか?)

医療機関情報の公開については、十分にできない理由というのは多々あると思いますが、医師の団体などが率先して行うべきものではないかと(そんなことあるはずないのは分かりつつですが)思います。
 
癌患者さんの場合は標準治療を受けて、治療が思わしくなく症状が進行した場合、他の病院への転院を勧められることが往々にしてあります。
癌の患者さんを最初から最後まで見てくれる先生は多くの場合いません。
このことも医師・患者関係の構築を難しくしているかもしれません。
抗癌剤放射線療法も、時として厳しい副作用を伴います。
治療経過が思わしくないので転院を希望すると「ご自分で探して行かれるのは結構ですが、もううちでは診ません」と脅しのような言葉で返されてしまいます。
そうして標準的な治療をしたのに治療効果が上がらず、医師からはより規模の小さい病院などへの転院を勧められ、見放された気分になります。
もう自分の命は終わってしまうのだと絶望に苛まれます。
そしてネットを見てみると、なんだか素晴らしく効果のあるような「免疫療法クリニック」の文字があり…実際には効果のない「治療法」に多額のお金をかけてしまう人を笑う事はできないと思います。
(近藤誠理論もこうした状況へのアンチテーゼとして、治療というよりはイデオロギー的に一部の人達に支持されています。)
天国ニョーボの話もまさにこうした問題点を抱えて経過しています。
この話の流れの中では当然のこととはいえ、身体の問題に話が集中しており、特に標準治療を進める病院の診療の中で「治療の一つのサンプル(n)」として扱われていることへの不全感や(多くの人が自分は(n)にはなりたくないはずですから)、治療がうまくいかなかったときの医師の冷ややかな態度に無責任な感じを覚えるなど、「人間らしさの喪失」に対する作者の強烈な反感を感じ取ることができます。
医師側は、「素人に何がわかるんだ」という態度を崩さず、患者側は色々な本を読んだり調べたりしているものの、やはり枝葉末節的な知識を持ってそれに対抗しようとします。
とくにこの場合、妻のよしえさんがとても大切な人であり、作者の何としても生きてもらいたいという思いが非常に強く、話はやはり治療のことに集中しています。
結果的に今のところまでですが、「よしえさんが今の状態でよりよく生きていくためにどうするか」という話はそれほど出てきておらず、そのまま、よしえさんの病状は漫画上ではかなり悪化してしまっているようです。

治療場面における「人間らしさの喪失」は、がん患者さんに精神的な色々な問題を引き起こすことがあります。
がん患者さんに起こる精神面の問題について、リエゾン精神科やカウンセリングなどの方法はあり、それらは十分に活用されるべきですが、担当医師がそれを精神科やカウンセラーに完全に丸投げすることはできません。またそうした人材も圧倒的に不足しているのが現状です。

よしえさんが、もしも最初から筆者の思う通りの治療をしていればもっといい経過だったのかはわかりません。
もしかすると治療法を変えてもそれほど大きな差はなかったかもしれません。
奇跡は起きることも起きないこともあり、それほど人間の体は精妙で複雑なもので、医学が分かっていることというのはほんの一部に過ぎません。
それでも後悔せざるを得ないのが人の心だとは思います。

(実際、医師の言うことに従っているのが絶対によいかというと、必ずしもそうではなこともあります。
ネットで検索した医師の所にかかりたいと言って担当医から「もううちには来るな」と言われ、それでもその医師の所に行って治療を受けた結果、最後には本当に良くなった人がいます。そこに至るまでに紆余曲折があったのですが、その方の聡明さと粘り強さの勝利であり、全ての人が同じようにうまくいくわけではないかもしれません。)

診断技術、治療技術など、技術的なことを言うのであれば、人間の医師はそのうち人工知能にかなわなくなるかもしれません。
気分や調子に左右される人間より機械の方が安定して治療をおこなうことが出来ます。
人間の医師が現時点でかなうものは、「人のみが人を救える」という、より分かりにくい、魂の救いに関わる部分なのかもしれないと思います。
それすらも人工知能で可能になってしまうと人はもはや人でなくてもよくなるでしょう。
勿論現時点での治療技術は最善が尽くされるべきです。
そのためにやることも山ほどあるのではないかと思います。
現在の保険診療の枠組みの中でできることも限られており、お役人はやりたがらないであろうという感じですが、個々の医療者の小さな努力で少しづつできてきているものもあります。
最近では医師以外の医療者やケアマネ、カウンセラーなどの人達がたくさんこの分野に参加しており、今後より民主的なものになっていくかもしれません。
 
患者さんの治したいという気持ちと、医療者側の思いがぴったりうまく繋がると、思いの外よい治療効果が出るということを経験します。
思うような治療効果が出なかったとしても、それはそれで、お互いに納得できる点が見つかるということもあります。
(言い訳がましいのですが、がんの場合はおそらく比較的特殊な状況がより多いかもしれません。通常の慢性疾患を持っている方の中には、いろいろな理由で生活習慣や食事、時間の使い方や体への向き合い方を変えてまで病気を治したくない、自分の考えを変えたくないなど、病気と真剣に向き合っていないということがしばしばあり、この場合当然のことながら、治療効果は思わしくありません。)
医師と患者さんの間にはやはり相性の問題もあるでしょうし、お互いがいい関係を築くことはそういう意味で大事だと考えています。

現在癌の闘病記をネットで書かれている著名人のブログ記事を読む限り、彼女は、素晴らしい先生との出会いによって、魂の救済を得たように見えます。

私は、この(今の所)人間の医師しか持ち得ない部分が、一つの鍵になるような気がしています。
ただしこれも、見えるものしか見ない人の多い現代では意味のないものとして真っ先に切り捨てされていくものなのかもしれませんし、言葉の持つ宗教的な感じが嫌われてしまい、むしろ話が回避される類のものかもしれません。

「悪医」の小仲も、魂の救済を得て、最後には安らかな眠りにつきました。
こうしたことは宗教家の専売特許というものではありません。
よしえさんも、色々なことはあっても最後にはきっとダンナの一途な愛に救われて、お釈迦様やキリスト様がいるにぎやかな天国に召されていったのではないかと想像しています。

漫画で提示されている色々な問題点も含めて、医療従事者(というか医者)も、そうではない人も、一読に値する漫画ではないかと思います。