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pianque's blog "blackstar"

北関東の某市で暮らすpianqueが日々感じたことをつづります。表題とかけ離れた記事が増えてきたのでタイトルを変えました。

精神科の処方:減薬や断薬ではなく「適切な処方」を

以前にSNSで書いた通り、日本精神医学会は継続して水俣病認定に対する意見表明を出しています。

その中で、中毒学の専門ではない神経内科医が主に認定基準の作成に関与していたため認定されるべき例が認定されなかったことに対して、神経内科医を名指しで批判しています。

中毒学の臨床応用というのは、本来もっとなされるべきとだと思いますが、現時点ではまだ少なく、あったとしても信頼性に疑問を抱かざるを得ないものもあります。神経内科医はもっと中毒学を勉強したほうがいいのかもしれません。(そう思って早速中毒学の本を買ってみました。)

この議論で私が面白いと思ったのは、神経内科医と精神科医の根本的な思考の癖の違いということで、神経内科医は臨床的な診断基準というものを作ってその基準に見合っている症例を発見するのが好きなのだと思います。

正常圧水頭症の三徴とかパーキンソン病の四徴とかなら良かったのですが、中毒性疾患に対する病気の全体像を持っていなかったということなのではないかと思います。

中毒性疾患の「ゲシュタルト」をここで挙げようと色々考えてみたのですが難しいことに気付きました。

中毒には急性中毒と慢性中毒があり、症状に個人差があり、神経系以外の症状も出現し、神経系も障害されるものの既存の疾患にどうも当てはまらなず、暴露薬剤との因果関係の証明が現在の一般検査では困難な場合が多いという、ものすごく漠然としたものになってしまうのは、私が中毒性疾患をそこまで診察したことがないからであり、多くの神経内科医は同様だと思います。鉛中毒などは教科書には書いてありますが、実際に見たことがありません。

一度も診たことのない疾患を診るのが神経内科医の仕事なのですが、神経症候学と、神経学的診察から想定される病巣部位とその機序を推定する、という診断パターンから神経内科医は離れることができません。

中毒性疾患の診断に関してはこの思考回路から少し離れる必要があるかもしれません。

一方、精神医学会は、診断基準が医師によってまちまちということで、これもやはり問題ではあるのですが、この問題に関しては、より柔軟な発想ができたのではないかと思います。

精神医学会が何故水俣病に関わっているのかについてはよく知りません。色々ないきさつもあるのかもしれませんが、ここではそれは触れないことにします。

ということでざっくり一言でまとめると、

神経内科医=診断重視

精神科医=治療重視

であるという傾向を垣間見た気がしました。

というよりは、精神科医が病気を分類・診断することの困難さについて、やや虚無主義的になっているように見えます。でなければDSMにあそこまで身内から批判は出ないと思います。(神経内科で疾患の診断基準や診断分類に異論が出るということは滅多にありません。)

さて、そうなると今度は精神科医の「治療」とはどういうものなのか?という問題が挙がってきます。

先日のブログ記事で内○先生(分かる方は分かると思うので実名は伏せます)のトンデモは人に健康被害を与えるから良くないと書きましたが、とはいえ精神科医の処方を色々見ていると、あまりにどうかと思うものを見ることもしばしばあります。

例えば、向精神薬1種類に気分調整薬1種類に睡眠薬1種類に抗うつ薬2種類に抗不安薬…という、一体何をしたいのか見ていて良くわからない処方があります。

私は精神科に関しては全くの素人ですし、そこまで使っているのでやっと落ち着いているということなのかもしれませんが、計画的に薬を出していたら果たしてそういう処方になるのだろうか?とも思うわけです。

精神科の薬を12種類ぐらい飲んでいる人の薬手帳を見たことがありますが、さすがにどうかと思わなくなっている時点で感覚がちょっと麻痺していると思います。あれを減薬したら一体どうなるのでしょう。

内科医でもこの問題に気付いている人達が、「プライマリ医で上手に抗うつ薬を使い、ベンゾジアゼピンを使わないようにしましょう」というコミュニティをネットで展開したりしています。それは、あくまで私の印象ですが、ベンゾジアゼピン系薬剤を服用し始めると依存性や耐性で薬が増え、次第に効果が落ち、そのため他の薬剤が必要になり、しかもリバウンドの危険があってベンゾジアゼピンをやめられなくなるからではないかということです。

自覚なくベンゾジアゼピン系薬剤の依存になっている人が内科でもとても多いという話はSNSで繰り返し書いてきていますが、そうした人達に薬をやめさせるのは、すごく大変です。高齢者になるとほぼ無理となるケースも多くあります。

依存になっている人にベンゾジアゼピン系薬剤の副作用を説明すると逆に過度に不安になったりします。副作用が心配、でも薬をやめると調子が悪い…という感じで毎日がすごく平板な感じになってしまっている(薬の心配と身体の不調と日常のことしか頭になくなってしまう)人もいます。

あとこれは前にも書きましたが、ベンゾジアゼピン依存になっている人は、常に体調が悪そうな人が多く、若い人で精神科に行かず内科でもらっている人達に限って言うと、そもそも不健康な生活をしている人が多いようです。若いうちはそれでもいいのですが、後で後悔するだろうという旨を色々説明してもあまり聞く耳を持ちません。

なんとなくいつも体調が悪いというのは、中毒性疾患全般を考えるときに、一つのキーワードになるかもしれないと考えています。

以前20代の女性の方が、「デパスを処方してください」と来院されました。当然お断りしたのですが、「以前かかっていた病院では出してくれたのに何で出してくれないんですか」「ここまで来るのに交通費も時間もかけて来ているんですよ(知らんがな)」「肩こりって言えば出してくれるんですか」などと20分ぐらい食い下がられてしまい、こちらもキレかけてきたため「そういう系の人」専門(?)の看護師さんにお願いして何とかお引き取り頂きましたが、私がその安易な内科医を一瞬恨んだことは想像にかたくないと思います。20代の女性だからよかったようなものの、薬欲しさに何でもやる人というのはいるわけで、くれぐれも注意しないといけません。

内科医は安易に精神科の薬を処方するべきではありません。この近辺にもデパスを「一番軽い薬だから」と処方する医師がいるようですが、「お友達がもらっているのにどうして自分は貰えないのか」と言ってくる患者さんもいるので結構迷惑です。

この手の薬は精神科で処方してもらうようにお伝えしていますが、肝心の精神科がどうなっているかというと、「我々の手の届かない範囲」というか、不透明な所があります。非常に優秀で良心的な精神科医もいれば、(私にその判断はできないものの)傍目にはそう見えないということもあり、さらに、それについて我々が口を挟むことは許されないという所があります。

精神科の薬剤を減薬することを専門とする精神科医がいればいいのにと思います。感染症だって、感染症対策委員会が病院にいて、カルバぺネムは使うなとか色々助言してくれます。そういう存在の必要性を感じます。

それは、ラディカルに断薬するとか、理想的なことを言っていても実際にやっていることが解離しているとか、そういうことではなく、「過剰投薬を減らして適切なほかの薬剤や治療に置き換えてくれる、または薬が不要であれば切っていってくれる」医師ということで、合理的な治療ができている精神科医ならできるはずです。

精神疾患の診断基準に関しては、異論もあるかと思いますが、DSMー5に依拠するということでよいと思います。私も本を買ってちょっと勉強してみることにします。結果的にこの記事の内容は後で少し変わるかもしれませんが。

しかし精神科の治療に関してはあまりに幅がありすぎます。漢方の場合は統一された診断基準がなく(日本漢方と中医学でも全く違うし、その中でも色々違いがある)治療もばらばら、ですが、漢方医のそれぞれの診断基準に従って薬を処方しています。

しかし、診断基準が統一的なのに処方が処方医によりバラバラでは、結局やっていることがよくわかりません。

対して神経内科医の場合、処方に差が出るのはパーキンソン病と、もしかするとアルツハイマー病ぐらいで、基本的には標準的治療が存在します。だから優れているということではありませんが、少なくとも透明性はあります。

なお、より本質的には、「精神疾患の治療は誰のために、何のためにやるのか」という問題も出てきます。つきつめると反精神医学的発想になったりもしますが、そういう哲学の領域になりそうな話は、話としては非常に面白く考察の余地もあるのですが、実際の臨床にはあまり入れない方がよいと考えています。