読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

pianque's blog "blackstar"

北関東の某市で暮らすpianqueが日々感じたことをつづります。表題とかけ離れた記事が増えてきたのでタイトルを変えました。

ネット上の傲慢な科学者達

雑記

pianqueは以前、ツイッターで色々な科学者や同業者(一応ですが理系職です)のアカウントをフォローしていましたが、全部やめてしまいました。現在ツイッターのアカウントは持っていますが、自分をフォローして頂いている方以外のTLは見ていません。ただ、フォローしないと名前を見つけられなくなりそうなアカウントと、韓国語の先生のアカウントだけはこちらからフォローしています。

あまりないと思いますが万が一ツイッターアカウントのリンク先からアクセスしている方は、pianqueが何者なのかわかると思います。そういう方のTLはフォローしているはずです。

ツイッターは一時毎日のようにチェックしていたのですが興味が段々失せたのは何故か?というと、分かりきっていたことではありますが、

・失礼な人が時々いる。何故か突然上から目線でリプライが来る

・完全におかしい、偏っている、あるいは感情的なツイートをよく見る

・自分を大きく見せようとして嘘を書く人が結構いる

というのがまずあり(繰り返しますがpianqueのつまらないツイートに返信をくださるような方は違う…はずです)、それでも科学者達のツイートは、普段あまり知る機会のない知識を得るためにはよいかと思ってよくチェックしていました。

私の専門は、単に自分の専門分野のみではなく、他の理科系の領域の知識もあると結構役に立つという部分があります。

しかしそれが、どうもSTAP細胞事件美味しんぼの鼻血騒動のあたりから違う雰囲気になってきました。

pianqueはツイッターで当時色々書きましたが、STAP細胞は、最初完全に素晴らしい業績と書いてしまっておりました…(黒歴史です)。

後に自分の発言を訂正しています。この時には、科学者達のツイートは結構参考になりました。

福島に行くと鼻血が出るという「美味しんぼ 福島の真実」の漫画は、鼻血が出た人もまあいたのかもしれないけど、だからそれが何か重篤な病気の予兆であるという根拠でもあるのか?という問いかけをしています。

そのような「鼻血が出た、出ない」というあってもなくてもおかしくないようなことで論争すること自体が馬鹿げており、あの漫画が本当に言いたかったことが完全に無視されていると思いましたが、ツイッター民の議論は鼻血が出る出ない問題に終始して収束してしまいました。

他、その頃主だった話題は、

・ワクチンは自閉症の原因になるとして拒否する人達とそれに反駁する医師たち

放射能に関するデマを流したとして犯罪者的扱いをされていた小出裕章氏や武田邦彦氏(他数名)に対する科学者の批判

山崎パンが腐らないのは食品添加物がてんこ盛りだからと主張する人達とそれに反駁する科学者達

などだったと思います。多分去年ぐらいの話です。

(まあ、船瀬俊介さんとか広瀬隆さんとか某U先生とか、そういう人達はさすがに私もトンデモだとは思います)

正直に言ってどれも結構どうでもいい話なのです。

この中でワクチンの話だけは、さすがにワクチンを拒否する人が増えると色々問題が生じるのでするべきだったと思いますが(今時のお母さんは結構ネット情報を参考にしてますので)、インフルエンザワクチンと子宮頸がんワクチンの是非は医師間でも結構ごたついており、推進派が反対派の医師をツイッター上で批判しているという状況もありました。

私の疑問は、科学者たちが何故、こうした本質的ではない、割とどうでもいい話に夢中になって「デマを信じてしまった」科学を専門としない人達をバカ扱いできるのか?という所から始まります。

pianqueもさすがに自分の専門には詳しい(はず)ですが、一歩専門から出て例えばPC関係になったりすると、機械モノに弱いせいで専門家が「え?」と言うような質問を飛ばしてしまったりします…。

誰もが全ての領域について深く知る必要はありません。

専門家がきちんと知っていればいい話であり、知らない者を見下すという態度はよくありません。

それは例えば医療などでもそうです。

患者さんの多くは高齢者ということもあり、教育程度がばらばらだったり、テレビ番組の健康情報に飛びついたり、とんでもなく見当はずれの質問を医師にしたりしますが、それは普通のことです。

何故ならそこには不安があるからであり、この不安は正しい感情だからです。ネットで啓蒙したところでそうした不安は収まりません。

そうした「無知」に対して戦う姿勢を見せてはいけないのです。

ネットでの科学者のツイートをパラパラ見ていると、山崎パンは無菌的な環境で製造されており安全であるとか(なんだかすごく山崎パンの肩を持っているようなツイートを結構見たけど…私は昔の山崎パン工場のことは少し知っているので)、野球部の女子マネージャーがおにぎりを2万個作ったという美談に対して「そんな不衛生なもの食えるか」という心無い発言も見られました。

そもそも食品はどのように作られたとしても、完全にいつまでも安全なことなどなく、さらに菌が一定数以上いても必ず食中毒を起こすとも限らないのにです。

マネージャーのおにぎりで実際に食中毒が起こったということはおにぎりの記事上確認できません。そもそも仕出しのお弁当は作ってから時間を置くことを前提に作られていますが、おにぎりはすぐに食べてもらうことを前提に作られているはずで、時間分食中毒のリスクは減るのです。

山崎パンは衛生的で家で焼くパンより長持ちして安全、おにぎりは業者の方が安全などというのは、食中毒リスク以外のリスクも、リスク以外の要素も食べ物にはあるということを完全に無視した、きわめて雑なセンスに基づくものだと思います。

科学的知識をいかにして科学を専門にしない人達に伝えていくかという話は、テクニカルな部分も含めて、藤垣裕子氏の「専門知と公共性」という本に詳述されていますが、ツイッター民であまり読んでる人いないのかな…と思ったりします。

彼らにとっては、科学的知識のない一般人が非科学的な発言をすることは「無知蒙昧」であり、内容によっては(放射能に関する懸念であるとか)「大衆を扇動した」として批判の的になります。

こうなると宗教的な雰囲気さえ彼らに感じてしまう訳です。

彼らは自分たちが正しく、そして正しいことがネットのリテラシーが高いことであると信じているはずです。実際は必ずしもそうではないはずなのですが。

幾つかの科学的問題に対して色々な仮説や異なる意見が出るのは当然のことです。

その中に当然間違いは色々ありますが、多くのものは、時間の流れとともに淘汰されるものです。

以前これを書いたら南アフリカでエイズが蔓延したのは反医療的言説のせいという指摘をされましたが、リンク先の記事を読む限りそもそも基本的な状況や条件が日本と南アフリカのこの件では違いすぎています。

今のオーソドックスな科学も、あるいは医学も、完璧に正しいものではなく、定説はしばしば覆されます。例えば医学(というか医療)の話で、高血圧やコレステロールの基準値などは恣意的に色々変わったりしていますし、そもそもが恣意的なものである以上、これからもコロコロ変わる可能性があります。

つまり正しいものが最初から存在しないという状況です。

「デマを流すと乗っかってしまう人がいるので規制するべき」と科学者が言うのは、科学が専門でない人をいっしょくたに馬鹿にしていると思いますし、そもそも越権的です。

実際に彼らがいくら正しさを啓蒙してもある程度のデマはやはり出回ります。「不安はあるかもしれないけど科学的に見て大丈夫だから安心して」と、対面ではなくネットで語るのは、専門的知識がない側にとっては、「あなたの不安感は根拠のないものだから堪えてください」という精神論だったりするのです。

そういう精神論…どこかでみたことなかったですか?

例えば戦中とか…今までに色々あったような気がします。

人は事実を知ったら全て納得するわけではないということは、あちこちドクターショッピングをしている人などを見るとすぐに分かります。

上に書いた精神論の話は、放射能問題に対する科学者の態度の問題点として東浩紀氏が指摘していましたが、私もその通りだと思います。

彼らの中には良心から啓蒙的な記事を色々書いている人もいて、それはいいことなのかもしれません。

しかし、意識しているかどうかは別として、彼らの中には「より頭のいい者がヒエラルキーが上」としてバカを許さないというツイッター上の変な空気感に乗ってしまっている人が結構いるようにも見えます。

何故みんなツイッターなんかで賢さを競うのか?

その理由が、学歴社会のコンプレックスの裏返しであるような気がしています。

その中で勝ち誇れるものがあったとしても、それがどれほどのものなのだろうか?とふと思うわけです。